SSブログ
Visit my YouTube: https://www.youtube.com/user/NickEcrivain

話は大抵「合わないもの」 [blog]

無人島で一人住む生活でもない限り、
人は日々、多くの他の人々といろんな用件で話をしている。 

働いている人なら仕事の関係者と仕事の話や雑談やら。 
無職の人なら、隣近所などの人とやら。
子供がいるお母さんならば、子供の関係での付き合いやら。

それぞれの関係する社会の人々と話す機会があるだろう。

そうしたいろんな人々との付き合いで、
お互いの連絡事項など、事務的な話は別として、
個人が他の方と友達付き合いをしていても、
特定の仲良しの仲間の中でも、
すべての話の中で、
お互いが全く同じ意見ということは、あってもそう多くない筈。 

人それぞれに意見や見解や嗜好が多かれ少なかれ違う場合が多い。 
でも、付き合い上、自分の主張ばかり通さず、
相手に合わせるという場合が少なくない。

日本人は元来、「とことん討論する」という習慣がない。 

どちらでもいい場合は、付和雷同という程の極端ではなくても、
結構相手に合わせるという融通性がある。 

余程の事がない限り、「口角泡を飛ばす」という状況には至らない。 

人によって、表面上は肯定していても、
裏では陰口をたたくという場合もあるようだ。 

でも見かけ上は、和を尊ぶきらいが強い。 

賢い人ならば「和して同ずる」事はないのかも。 

関係が上手くいくように、
お互いが譲歩して歩み寄ることが少なくないけれど、
必要があってそうして波風を立てない様にしているだけで、
考えや意見は必ずしも同じではない。 

大抵は、それなりに異なっているものだろう。

仲のいい友達とは、お互いに趣味や関心事などに共通のものがある。 
お互いに興味がある共通の題材が存在するから、
そうした共通項が二人の関係の距離を短くする。 

他の事を話しても、まったくかみ合わないとしても、
その共通項に関しては、話が合うと言うか馬が合うと言うか、
そういう事が友達関係を形成する。 

友達同士は主観的に自然体で友達関係を築いているが、
お互いに話の合う分野は、そんなに広くはない。 

大抵は、話は合わないものなのである。

nice!(0)  コメント(0) 

老人の終活 [blog]

「断捨離」という言葉は、日常的に随所で使われている。
というか、関心があるから目に付くだけなのだろうか?

WHOが2,000年に提唱した「健康寿命」。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/健康寿命
つまり、介護などに頼ることなく、
自分の力で自立した生活のできる生存期間は、
平成22年の段階で、日本人の男性は約71歳、日本人の女性で約74歳。

これらの歳を過ぎてもまだまだ健康な人は、
日本人の平均以上に健康だと言える。

いずれにしても、自分が健康な間に、
自分の老いの支度を始めたいもの。

そうした70歳代にもなれば、
子供がいても成長してそれぞれに独立しているだろうから、
独り身の人も夫婦であっても、子供を育てていた時代とは異なり、
もはや大きな住居はいらない。 
大きな住居は、むしろその維持管理に持て余す。

長年の間に溜まりたまった家財道具やその他のもろもろも、
自分の没後、
その処分を息子などの世話にならない様に
徐々に処分していきたいもの。

思い出のあるものや愛着が染みついているものなど、
手放したくない物もあるに違いないとは思うものの、
一旦処分を決心すれば、できないことはない。

私は家財道具の多くを処分した。
狭い賃貸に引っ越すために、
まだ新品同様の高価なソファーセットも
家内が結婚当初持参した洋服ダンスや和ダンスも処分した。

今後の生活に必要なテーブルセットと寝具の布団と衣服類だけを残し
机も大きな壁一面のサイズの本棚も座布団も処分した。

息子の多くの専門書や辞書や本だけでも多分300冊をゆうに超えていたが
次の住まいには全く収容できないので、何度にも分けて、泣く泣く処分した。

それとまだ2万キロ強しか走っていないピカピカの愛車も
引っ越しが完了すれば最後に売りに出す予定だ。

崖から飛び降りるような断腸の思いだけど、
ゆくゆく息子らに迷惑は掛けたくないから。

タグ:老人の終活
nice!(0)  コメント(0) 

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。