Visit my YouTube: https://www.youtube.com/user/NickEcrivain
宗教の違いに起因する殺し合い [宗教]
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO07631420W6A920C1000000/
宗教の違いに起因する殺し合い
宗派の違う者どうしが、その違い故にいがみ合い、
それが高じて殺し合いまでするという現実を
宗教に無関心な私には、到底理解出来ません。
他人に牙を向ける必要のある宗教に何の意味があるのでしょうか?
人が宗教を信仰することに、他人の私がとやかく口をはさむつもりはありませんが、
その宗教故に、いさかいを起こしている現実は是認できません。
愚かというより他の表現が見つかりません。
確かに生まれ落ちたその地に、そうした宗教の環境があり、
自分だけは、そうした周りからの呪縛から逃れにくいという現実はあるかも。
しかし、賢ければ、他人と殺し合うような愚かな行為には走らないはず。
他の宗教を一切認めず排除するという一神教を信奉する人々。
八百万の神々が存在する我が日本では、その多様性が問題にならない。
彼らが他人との違いを認め、寛大になれれば、
何も殺し合いなどする必要がない筈。
社会的背景もさることながら、教育の貧弱さなどもあるのかなと想像する。
宗教の違いに起因する殺し合い
宗派の違う者どうしが、その違い故にいがみ合い、
それが高じて殺し合いまでするという現実を
宗教に無関心な私には、到底理解出来ません。
他人に牙を向ける必要のある宗教に何の意味があるのでしょうか?
人が宗教を信仰することに、他人の私がとやかく口をはさむつもりはありませんが、
その宗教故に、いさかいを起こしている現実は是認できません。
愚かというより他の表現が見つかりません。
確かに生まれ落ちたその地に、そうした宗教の環境があり、
自分だけは、そうした周りからの呪縛から逃れにくいという現実はあるかも。
しかし、賢ければ、他人と殺し合うような愚かな行為には走らないはず。
他の宗教を一切認めず排除するという一神教を信奉する人々。
八百万の神々が存在する我が日本では、その多様性が問題にならない。
彼らが他人との違いを認め、寛大になれれば、
何も殺し合いなどする必要がない筈。
社会的背景もさることながら、教育の貧弱さなどもあるのかなと想像する。
イスラム教の国の飛行機は、いただけない。 [宗教]
日本と欧州の間を旅行することに慣れた人には、
十二時間や十三時間の飛行は、何でもない。
疲れておれば、ワインでも飲んで、静かに寝ておけばいい。
初めての場合ならば、とても長く感じる日欧間のフライトも、
慣れてくると、それが苦痛でもなんでもなくなるから不思議だ。
慣れは恐ろしい。
所が、困った場合もある。 例えば、エジプト航空に乗った場合、
問題は、機内でワインが出ないこと。
トルコ航空でもそうだったと思う。
問題は、イスラム教の飲酒の禁止。
イスラムの国の飛行機では、機内での飲酒は前提としていない。
彼等モスレムには、それは当たり前かもしれないけれど、
こちとらは、酒を自由に飲める文化の国民だ。
飛行機に乗るときだけ、イスラム教徒になる必要もない。
海外の異文化の乗客には、
その文化の違いを考慮に入れた配慮が、なぜ出来ないのか、
とても理解に苦しむ。 でも、そこが日本人と違うところ。
イスラム教にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、
それらは皆、一神教で、他の宗教を寛容しないという事情は、
理屈としては承知しているつもりだ。
でも、自分らの宗教の都合を、宗教の違う人々に、
一方的に押し付けるのは、いかがなものか。
特に客相手の商売という分野においては、
人々を飛行機に乗せて、
目的地に運ぶサービスを生業とするならば、
我々の普通の感覚でものを言えば、
顧客満足を目指すのが普通だろう。
それとも、そんな感覚は、持ち合わせていないのだろうか。
たとえ禁酒が普通に行われる文化であっても、
それを、まったく異文化の外国人にまで「強要」するのは、
私の感覚では「行き過ぎ」「やりすぎ」「とんでもないこと」だと思う。
仮にそれを言うなら、イスラム教徒以外の人は乗せない、
という事を前もって明言し、実行すればよい。
でも、彼等には、そういうことは眼中になく、まったく無頓着。
アメリカ国籍の飛行機は、ビールやワインは有料。
全部がそんなやり方なのかどうかは知らないけれど、
随分ケチだなと思う。 でも、金さえ払えば飲めるので、まだまし。
十二時間や十三時間の飛行は、何でもない。
疲れておれば、ワインでも飲んで、静かに寝ておけばいい。
初めての場合ならば、とても長く感じる日欧間のフライトも、
慣れてくると、それが苦痛でもなんでもなくなるから不思議だ。
慣れは恐ろしい。
所が、困った場合もある。 例えば、エジプト航空に乗った場合、
問題は、機内でワインが出ないこと。
トルコ航空でもそうだったと思う。
問題は、イスラム教の飲酒の禁止。
イスラムの国の飛行機では、機内での飲酒は前提としていない。
彼等モスレムには、それは当たり前かもしれないけれど、
こちとらは、酒を自由に飲める文化の国民だ。
飛行機に乗るときだけ、イスラム教徒になる必要もない。
海外の異文化の乗客には、
その文化の違いを考慮に入れた配慮が、なぜ出来ないのか、
とても理解に苦しむ。 でも、そこが日本人と違うところ。
イスラム教にしても、キリスト教にしても、ユダヤ教にしても、
それらは皆、一神教で、他の宗教を寛容しないという事情は、
理屈としては承知しているつもりだ。
でも、自分らの宗教の都合を、宗教の違う人々に、
一方的に押し付けるのは、いかがなものか。
特に客相手の商売という分野においては、
人々を飛行機に乗せて、
目的地に運ぶサービスを生業とするならば、
我々の普通の感覚でものを言えば、
顧客満足を目指すのが普通だろう。
それとも、そんな感覚は、持ち合わせていないのだろうか。
たとえ禁酒が普通に行われる文化であっても、
それを、まったく異文化の外国人にまで「強要」するのは、
私の感覚では「行き過ぎ」「やりすぎ」「とんでもないこと」だと思う。
仮にそれを言うなら、イスラム教徒以外の人は乗せない、
という事を前もって明言し、実行すればよい。
でも、彼等には、そういうことは眼中になく、まったく無頓着。
アメリカ国籍の飛行機は、ビールやワインは有料。
全部がそんなやり方なのかどうかは知らないけれど、
随分ケチだなと思う。 でも、金さえ払えば飲めるので、まだまし。