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現実の世界と空想の世界 [My favorite movie]

http://www.youtube.com/watch?v=Bp6YDZVVbj0

アナベラは二つの世界に生きる。 一つは当たり前の現実の世界。
滑ったり転んだりして怪我をすれば、直ちに痛みを感じる生身の
世界。 体力を消耗し免疫力が低下している時に、過剰な不摂生を
すれば、風邪をひく世界。 所が、彼女には、他にもう一つの
世界がある。 それは、彼女が時々駆け込む空想の世界。

その世界では、物事にまったく際限がない。思いが届く限り、
そのエネルギーが続く限り、いくらでも遠くに旅する事が可能。
物理的なもの、形のあるものが一切存在せず、心理的な精神的
なもののみが物理的空間を経ずに、瞬時に移動や変形や発展可能
故に、あらゆる方向に無限の可能性が秘められている世界。

現実の世界で疲れた時、その疲労から回復を図るための一時的な
癒しの空間がそこにある。 好きな時に好きなだけその世界に存在
が可能。 それは他の誰にも影響などの類を及ぼさないように、
他の誰からも影響されない一人の世界。 共同する仲間がいない
世界だから、誰に配慮することも気兼ねすることもないまったく
自由な世界。 現実の世界から見ると、例えばカメラのレンズを
通して見た映画の世界はその典型的一例。 物語の中でピストル
で撃たれようが、ナイフで刺されようが、その映像自体が虚構
だから、死ぬことも怪我することもないし、痛みを感じる事もない。

映画の中のお金は、その中でしか通用しない。 現実の世界では
受け取ってもらえないのである。 Woody Allenの映画で、
ちょっと前置きが長くなったが、「映画の中に映画が出てくる」映画が
ある。 ちょっと回りくどい言い方だけれど。 「カイロの紫のバラ」と
いうのがそれだ。 原題は「The Purple Rose of Cairo」(1985)。
映画の銀幕の向こうから出てきた映画の主人公が、その銀幕の
こちらの世界で手持ちの紙幣を使おうとする。 でも、それは銀幕の
こちらの世界の紙幣ではないから、当然こちらの世界では使えない。

その映画の中では、映画の中の出演者とそれを見ている映画館の
観客が話をする場面がある。 現実には、到底あり得ない事だけど、
映画自体は現実ではないから、現実の世界では不可能なことも、
虚構の世界ではあり得る。 むしろ、物語を面白くする為には、
予想もつかないことを映像化して、見る人の心を捉えようとする。
目の前の非現実が現実であってくれればと思わせるように、
見る者を楽しませてくれる。

タップ・ダンスをすれば、世界中に彼の右に出る人はいないと
言われる程上手いのがFred Astaire. 彼の出演作品の中には、
なんと「壁の上や天井の上でダンスをする」シーンが出てくる映画
がある。 その題名は「Royal Wedding」。 どのようなトリックを
使って撮影されたのかよくわからないけど、現実に重力のある
この地球空間ではあり得ない話。 Newtonが見たら、卒倒する
かも知れない映像が出てくる。 とても予想外でとても楽しい。

それらの例が物語るように、非現実で構成された虚構の世界の
中では、実に驚きに値する事がいっぱい。 何でもありで、
夢と自由が山盛りに満ち溢れている。 それは人の心を楽しく
癒してくれる。 お蔭で、ストレスも吹っ飛ぶかも知れない。 
それらの虚構が夢物語で、非現実的であることを認識した上で、
娯楽や癒しの手段として活用することはとても意義がある。 
物語の中から得られたヒントを、何かに活用することができる
かも知れない。 少なくとも、作品を楽しむだけでも、
大いにその意義がある。 少なくとも私には。

空想の世界はそのように、人の心を豊かにしてくれる。 
自分発ではなかなか思いつかないことを示唆してくれるので、
ある意味では人生の教師のようだ。 だから、硬直した世間や、
視野の狭い、どちらかと言うと、お堅い頭を、映画を楽しんで
観る事によって、世界も広がり、精神的安寧ももたらしてくれる。 

人生には夢や希望が必要だ。 映画や書物の物語などを通して、
色んな例を疑似体験し、より多くの比較の為の材料を得ることに
よって、現実の世界での身の処し方などを高めることも可能になる。
だから、時折、厳しい現実の世界から一時逃避して、空想の世界に
遊ぶという事が必要となる。 逃避という負のイメージを与える
言葉は適切ではないかも知れない。 空想の世界へ楽しみを伴う
勉強会に出掛けるという事では如何だろうか。 

世界は未知の不思議な驚きに値することで満ち溢れている。 
単に知っているという事と、知らないという事では、その差は
小さいようで、とても大きい。 未知の世界に対する好奇心を
持つのと、無関心でいるのとでは、永年の間にできるその差は
かなりのものになる。 無関心や無知は罪だ。 人生に対する
背徳行為みたいなものだろう。 だから、空想の世界からも、
吸収できるもの、養分になるものを、貪欲に取り入れて自己を
太らせよう。 現実の世界での食べ過ぎや飲み過ぎは、
不健康を助長するが、虚構の世界での食らい過ぎは、
一向に問題にならない。 虚構の大食漢に幸多かれと祈る。 
暴飲暴食、大いに結構!



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