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「異文化を知る」とは [異文化交流]

異文化の民のことを知るということは、
今や他国の人々とやり取りをする立場の人々には、
必須条件でしょう。

自分の社会的活動範囲が、
共通の文化を持つ、
自国の同朋のみとの付き合いだけで事足る場合を除けば
好むと好まないとにかかわらず、
自分と何らかの関係を持つ人々の間の、
異種の文化を理解しないと、
相手の持つ全体像が分からないと、
ちょっとした行き違いで、
もめごとが起きたり、
交渉事が上手くいかない場合が出てくる。

相手と上手くいく為には、
どうしても相手の事情を正しく認識し、
相手を尊重するという事から始める必要がある。
同時に、こちらのことも、
相手に十分理解してもらう必要がある。
はたして、上手くいくのだろうか?

国が違えば、概して、人種も、風俗も、宗教もおのずと違うもの。
お互いに、相手は自分とはかなり違うのだから、
その違いを認識した上で、相手を尊重しなければ、
お互いのやり取りが、上手くいく筈がない。
相手を受け入れて、初めて相手にも受け入れられる。
お互いさまなのだ。

異国事情を知るということは、
その種の特別な講義でも受けない限り、
最初からお互いにすべてが分かる訳ではない。
お互いに具体的なやり取りをしながら、
その交流時にお互いの意思疎通をはかりながら、
少しずつ新しいことを学んでいくものなのだろう。
そういった地道な基本的な事を可能ならしめる為には、
お互いの総合理解が必要だ。

まずは、こちらのことを相手に伝え、
相手に理解してもらえるように努める努力と、
相手のことを見聞きし理解する能力が必要となる。
つまり、お互いに理解し合える為の、
お互いの意思疎通能力が必要となる。

こちらが分からないところは相手に聞き、
相手にわかってもらえていない所は、
分かってもらえるように、
説明できる能力は、最低限必要となる。
お互いに理解し、お互いに納得がいくように、
相異理解を図る能力は必須条件となる。

そこで必要となるのが、
物事を大所高所から客観的に理解する能力と、
異質なものを受け入れる柔軟な寛容性、
それと理解を図り更に深めるための意思疎通能力。
そのどれひとつが欠けても、上手くいかないだろう。

言葉は、その言葉の背後にある具体的な事実や存在や現象などを、
あるがままに伝え、相互理解を図るための道具。
抽象的な概念だけの域の理解に留まらずに、
その言葉の背景が、そのまま目に見えるようにはっきりと、
具体的に正確にあたかも高画質の写真で、
瓜二つのように写されたかの如く、
ありのまま伝わった上で、
その言葉の意味の本質が、
そのまま理解される必要がある。
簡単なようで、なかなか厄介なものだ。

やはり正しく理解される為には、
伝える側の表現能力もさることながら、
受け取り側も、それなりに十分な経験の、
蓄積ある裏打ちも必要で、
一朝一夕にはいかない。
頭の中で想像するほど簡単ではない。

地道な努力を「楽しみに変えたい」:






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