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信教の自由とは不自由なものかも [blog]

「イランがイラクの米軍基地に砲撃した」とのnewsを見た。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54152470Y0A100C2MM0000/?n_cid=BMSR2P001_202001080855

超例外的な日本の状況と比べて、
世界には「憎悪」が満ち溢れている。

米軍による、イラン革命防衛隊司令官の殺害が、
その事の直接の発端なのだろうが、
はたして、事の本質はどこにあるのかと自問する。

宗教を持たない私の目には、偏見を持つ訳でもないが、
宗教そのもの自体が、悪の本質である様な気がしてならない。

一般には「信教の自由」だとか、「信仰の自由」だとか言われ、
我が国の法律でも、その自由は保障されている。

人それぞれだから、人が宗教を信仰しようがしまいが、
そんなこと他人がとやかく言う事ではないと考える。

だが、その宗教そのものが、
他人への「憎悪」や「差別」や「迫害」などを生じさせているとしか思えない。

一神教であるキリスト教やイスラム教やユダヤ教は
唯一神を信仰する宗教。 つまり、他の宗教を受け入れない。
違うものに対しての許容性が極めて乏しいのだろう。

それの対極にあるのが、八百万の我が国の神々。
我が国の神々は、寛大で、寛容の精神に満ち溢れている。

一神教の神々の様に他の宗教を排除するという事はない。

その辺りの日本の社会的事情の為か、
他の宗教を信仰する人々を、差別したり、排斥したりすることはない。

所が、問題の多い中東辺りでは、同じイスラム教徒でも、
シーア派とスンニー派では、折り合いが悪い様にしか見えない。

宗派が違えば、それなりに何かが違うのだろうが、
例えばイランとサウジアラビアの例の様に、
宗派の違いにより、国単位で対立する様になる事自体、理解できない。

近隣諸国同士は、仲が悪いという例は、よくある話かも知れない。
それぞれに長年に堆積した歴史的背景などが関係しているのかも知れない。

中東での「憎悪」は、何が原因しているのだろうか?
仮に、宗派の違いによる軋轢が原因ならば、
不和の原因となる宗教など、「やめてしまえばいい」と思う。

宗教を狂信的に信仰しない日本の大地に住む私は
そういう観点から言えば、とても平和だ。
宗教絡みで問題が発生する理由など何処にもない!

長年馴染んできた自分の生活圏、それを極端に変える事は容易ではない。
しかし、そうした生活環境因子に問題を生じさせる大きな原因があれば
そうした要因を改める努力は必要だろう。

卑近な例を挙げれば、例えば豚を食べられないとか
牛を食べられないとか、お酒は飲めないとか、
宗教に起因する御法度を見直すという事もあってもいいと思う。

宗教の教えを厳守するのがいいのか悪いのか、
どうすれば、平和な世界にできるのか、
そうした事を自分の頭で考え、
必要であれば宗教を「放棄する勇気」も必要だろう。

それぞれ個々の問題に対処するのも必要だろうが、
従来の心的環境要因を根本的に改善する事ができれば
中東の混沌とした世界も平和なものに変える事が出来るかも知れない。

御法度のない宗教、憎悪を掻き立てる事のない穏やかな宗教、
諍いのない自由で禁忌のない社会に平和をもたらす宗教なら受け入れればいいと思う。
抑圧が人を幸せにする事はない。















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