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教養は地中深く張る植物の根のようなもの [blog]

ものごとを意識して関心を持って見つめてみると、
見えないものが見えてくる。

普通は、特別な事情でもない限り、
例えば、本のうわべの部分である表紙だけを見ているようなもの。 
関心がない限り、その本の中身をめくってみようとはしないもの。

所が、その本に興味をひかれると、
表紙をめくり、どんな中身なのか見るために、
前段部分に書かれている目次部分に目が移る。 

そして、その目次の中で、
自分が気になる部分を読んでみたい気になる。

前記の一例の様に、
何かに特別な意識を向けていないと、
物事の表面を一瞥する事があっても、
その細部の部分に触れることなく、通り過ぎてしまうもの。 

だから、問題意識を提起することもなく、
記憶に残る事もなく、目の前を単に通り過ぎてしまうもの。

所が、その目にしたものが、
自分の関心事であったりすると、話は変わって来る。 

好奇心が手伝って、その中身の詳細を知りたく思うもの。 
関心があるから記憶に残るし、もっと詳しく知りたい気持ちになる。

その自然な原理の様に、
一つの大きなテーマの向こうには、
数多くの細分化された具体的なテーマ群があり、
そのそれぞれに、更に詳細な内容が裏打ちされている。 

だから、興味を持ってその内容を掘り下げていくと、
その掘り下げ得る程度にも寄るが、結構分厚い本の様なものになり得る。 

「教養はジャムのようなもの。
ない人ほど広げて見せようとする。」
というような事が言われるが、
教養の上から見る平面上の範囲は狭くても、
その奥が立体的な厚みを持ち分厚くなる。

だから、例えば「日本文化」と一言で言っても、
その対象となる平面的な広がりも広いが、
それを掘り下げるとかなりのものになるようだ。 

日本文化一つを海外に紹介すると言っても、大変な事が推測できる。












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