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話がかみ合う [blog]

「話がかみ合う」という事は、嬉しいですね。
自分が、自分の素直な気持ちに従って、自然体で相手に話し、
多分相手も、ご自分の素直な気持ちに沿って自然体で話され、
そこにお互いに何ら意図的な目論見もなく会話を交わした場合に、
その話が「自然にかみ合う」という場合、
それは偶然なのか、
もしくは、不思議な力によって動かされた,
運命的なめぐりあわせなのかも知れない。

その種の現実的な例は、
そう度々経験できるものではないと思う。
勿論、個人差はあると思われるが、
そう頻繁には体験できないものだろう。
人は日々の社会活動や、個人生活の中で、
いろんな多くの人と知り合いになり、
仕事上の話や、個人的な話をする機会がふんだんにある。
一生に経験する出会いの数は、数えきれない人も中にはいるだろう。
普段の話は、お互いにお互いが接点を探り合い、
お互いの納得のいく妥協点を見つける努力をするという場合が、
特に仕事上では、普通なのだろう。
友達同士の会話の場合でも、
お互いの関心事や話題に共通点があっても、
その特定の分野に限ってのことで、
親友だからといっても、
すべての分野すべての要素において、
お互いに意見が一致することはない。
大抵はお互いに異なる考えや意見を持つものだ。

だから、話題を多岐の分野に渡って展開しても、
「いつもいつも、何でもかんでも、話がかみ合う」ということは、
まず有り得ないことだ。
ただ、お互いに関心の強い異性が相手の場合においては、
いろんな領域の異なる話が、不思議とかみ合うということがあるようだ。
相手が好きなことが、意識せずに好きになれるのかも知れない。
そういう相手とお話をしていると、
不思議と「いろんな話がかみ合ってくる」のだろう。
相手に惹かれると、何か無意識の内に、
相手の好きなことが好きになるような現象が現れるのかも。
そのような推論無くして説明がつかないことがある。
相手の意見とは少し相容れないことを言うと、
最初の自説を横に置いて、
今度はこちらの意見を肯定しにかかってくる。
その意見の変遷は、その豹変ぶりは、いったい何なのだろうか。
多分、風見鶏のように、日和見的なことをしようとは、
その意識の中にはない筈だ。
だが、客観的に見れば、
その種の例が繰り返されると、
何かそこに無意識の領域で何かが作用しているとしか思えない。
他の殆どの話し相手には、決して見いだせない不思議な現象。
それを、どう説明をつければいいのか悩まされる。



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