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日本人の「錯覚」 [blog]

自分の価値観が世界でも通用するものと「錯覚」している日本人

人間の種類という観点で見ると、日本ほど多様性に欠ける国も珍しい。

我が国は日本語を話す日本人でのみ構成されている。
日本人同士で話す限り、日本語のみで十分だし、
他国語は必要とされない。

そして、歴史的に、日本の社会は日本人のみで営まれてきた。
つまり、一般の我々日本人は、我々の社会の中で受け入れられる認識を
あたかも当たり前の事だと思い、その共通認識のもとに、
それが他国でも普通に通用するかの如く「思い違い」をしてきた。

国が違えば、人種が異なり、言語も文化も宗教もその他社会通念も、
ことごとく異なるという前提で物事を考えるという習慣に欠け、
そうした多様性を念頭に物事を考える習慣が
ほとんどなかったのではないかと思わされる節がある。

近年の時代の変化は、目覚ましいものがある。 
それはITの急激な進歩により、地球レベルで、
人々の通信が自由に行える時代が来たからだ。 

今や人々の交信に国境はない。ただあるのは、時差のみだ。 
だから、お互いに意思が通じる相手とならば、相手が世界のどこにいても、
ほぼコストをかけることなく、相互に話し合うことが可能だ。

Emailを使えば、たとえ離れていても、
友達や家族とのメールのやり取りができるし、
それをビジネスの通信手段にも使える。 

Skypeなどを使えば、相手がどこにいてもinternet環境がある限り、
お互いの顔の表情を見ながら、無料で長電話も可能だ。 

自分が広く世界に訴えたいことがあれば、
Twitterもあるし、Blogを書くことも可能だ。 

視覚的に記録を発表したければ、
動画をYoutubeにアップすることもできる。 

その他Facebookなどのようなものを使って、
世間を広めることも可能だ。

昔はTVやラジオなどを通じて、一方方向に情報の伝達がなされていたが、
今や各個人同士が「双方向」に自由に通信できる素晴らしい時代。

そんな利用可能な道具を使って、我々日本人も、地球レベルで
多種多様な人々と知り合いお付き合いをすることによって、
お互いの違いと共通点を知り合い、世間を広くする機会を享受したいもの。 
そうした実体験が、それまで知らなかったことを教えてくれる。

自分の価値観が、
どこの誰にでも通用するものでないことに気付かせてくれるだろう。

「自分が思うように、世界の人は思わないもの。」 

その現実を、我々日本人は、しかと気付く必要がある。


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