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異民族共存の為には、日本人も視野は広げる必要がある [blog]

世の中は、実に多種多様な人々で成り立っている。

一人として、自分と同じような人には巡り合わない。

その良し悪しは云々しないけど、それは本当だ。

つまり、何が言いたいのかと言うと、
人は皆、思いや意見や観点が違うという前提でものを考えなければいけない。

確かに、人によっては、自分の意見に賛同してくれる人々はいる。

でも、絶対数で言えば、その数は例外的で、取るに足らない少数で
現実には何の役にも立たない。

その、事実は、厳然としてそこにあり、その事実を覆すことなどありえない。

個人レベルに焦点を当ててものを見れば、
多分そういう分析になるのだろうが、
視点を変えて、例えば国レベルでものを見れば、
前述の様な差異はあるものの、
日本人はそれぞれに「似たり寄ったり」と言っても過言ではない。

それは、一つには、日本の地理的条件が影響してきたのだろう。

日本は周りを海に囲まれた島国で、
歴史的には外国人との交流は殆どなかった。

いろんな国々が地続きで自由に行き来できるヨーロッパ大陸とは対照的だ。

多様な人種、多様な文化、多様な言語が行き交うヨーロッパ。

日本は、人種は日本人のみ、単一の文化で単一の言語。
多様性など全く無縁な「外界から閉ざされた」世界だった。

いわば「村社会」で、
その閉ざされた世界のみで通用するルールが生まれ、
その世界のルールに適応できない場合は、
「村八分」にされる特殊な世界。

出る杭は打たれ、横並びが尊重される、いびつな世界。

例えば、幼稚園での発表会などで、
「みんなが主役」なんて事例に出食わった日には当惑させられる。
私の小学生時代では、お姫様は一人だった。
みんなが主役なんてありえなかった。
そういう意味では真面な感覚の時代もあったのかも知れない。

国内在住の日本人が外国人と日常的に付き合うことなどなかった
いわば純粋培養の良き時代には、
その社会の中では全く意識する必要も無かった事が、
今まさに変革期に差し掛かって、必要となろうとしている。

それは、日本列島が、単一民族の社会から、
多様な異民族共存社会に変換しようとしている事を指す。

安倍政権の方針では、日本国内の人手不足を理由に
5年間で多数の外国人を受け入れようとしている。

はたして一般の個人レベルで上手く行くのだろうか?

それでなくとも、日本人の大半の人々は、
異人種との付き合いに慣れていない。

日本人は、自分が正しいと思う事を正しいと思い、
それが普通だと思う事を普通だと思うのだろう。

その基準は、「日本人の価値観」に基ずく判断で、
異文化のそれを基準とはしていない。
荒っぽく言えば、多くの日本人は、
諸外国の多様性を全く認識していない。
価値観にずれがあれば、トラブルも起こりかねない。

異文化との摩擦は大いにあり得る。
お互いがお互いに理解出来ないで、上手く行く訳がない!

いろんな国々の異色の文化は「肌で体感」して初めて分かる事がある。
その為には外国人の友達を持ち、長いお付き合いをする必要がある。

でも現実には、長いお付き合いを可能にするには、それなりの条件があり
誰でもそう簡単に出来るものではない。

地球儀を俯瞰するような、そんな姿勢が必要となる。
でも、それは容易ではない。

まずは多種多様な相手を理解する事から始めるべきだが、
理屈で言うのは簡単だが、それはとても達成しがたい目標だろう。

でも、その目標に少しでも近ずく為には、
自己の意思と努力で持って、積極的に活動するしかない。

まずは、一人でも二人でも、異国に友達をつくることから始めたい。

誰しも気付いているだろうが、いい友達は探しても容易には見つからない。
いい友達に巡り合える事はとても少ないけれど、
積極的に探す努力をしなければ、永遠に出会えないかも。

そうしたチャンスを手に入れるには、
自分も相手に気に入られる存在になりたいもの。
ともだち関係は「お互い様」だから、
片思いでは成就しない。

友達とは仲良く出来ても、それ以外の人とも上手く行くとは限らない。

先ず誰もがぶち当たる「言葉の壁」。
仮に英語を操る事が出来ても、
それ以外の外国語が出来る日本人は極端に少ない。

私の知る限りにおいて、
オランダ人の様に何か国語も上手く操る人種は極少数派だろう。
フィンランドでは北極近くの最果ての極地でも、
誰もが英語を喋るが、そんな例も多数派ではない。

有名なAudrey Hepburnがそうであった様に、
欧州の人々の中には何か国語も上手く使える人は確かにいるが、
そうした人々の中に日本語も同様に流暢に話せる人を知らない。

私の友達の一人はフランス国籍で母国語のフランス語はもとより、
米国留学の経験者で英語も(自称)アメリカの知識人並み以上。
更にドイツ語もスペイン語もこなせるみたいだが、
日本語の勉強には苦労をしている様子。

欧米の諸言語なら根本に類似する共通項がある為か、
何か国語も習得出来ても、日本語の習得はそれほど容易くない。
現実に生粋の日本人の私でも、日本語が得意だとは言えない。

ましてや、日本語のマニアでもなければ、
外国人がご自分で自助努力で勉強しても
十分に上手くなれる確率は高くない。

私の知ってる日本語のうまい外国人は
自分の伴侶が日本人の場合が多い気がする。

それ程、寝ても覚めても四六時中特訓でもしない限り
日本語が上手くなれないような感じがする。

そういう前提で考えれば、外国人に日本語習得義務を課しても
はたしてどうなるのか疑問だ。

それと、外国人の異なる文化背景と異なる習慣。
日本でそれなりに上手くやってもらうには
日本文化や日本の社会習慣に馴染んでもらう必要がある。

なかなかハードルは高い。

だから、受け入れる日本人社会も、視野を広げて
多様性をある程度容認する心構えが求められる。

はたして上手く行くのだろうか???

























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