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人生100年の時代 [blog]


人生100年の時代がもうすぐ来るかも知れない。 
最近はそんな種類のテーマの記事に出くわす事もある。 
でも、長く生きればいいというものでもないだろう。 

「生きる」というその言葉の実質的な「中身」が問題だ。 
ただ「息をしているだけ」では、長生きしていても意味がない。 
心身共に健康で自立していて、人生を「楽しめる」状態でないとだめだ。
家族の世話になったり、他人の世話を必要とする状態なら、
あまり「生きている意味がない」。

自分の足で精神的にも肉体的にも、経済的にも自立していて、
誰にも気兼ねの要らない自由な生活を自分の望むように営めてこそ、
自分で「生きている」といえる。

仏語の「生きる」という動詞の「vivre」は、
そうした「充実した人生を生きる」という意味で使われるようだ。 

例えば、こんな表現が辞書の中に出てくる。 Un homme qui a vecu.
その意味は「充実した人生を送った人」と訳されている。
aとvecuの間にbeaucoupを入れて、
Un homme qui a beaucoup vecu.でもいいらしい。

少子高齢化で健康保険の財源が心配される今の世の中。 
加齢と共に誰しも体の何処かに遅かれ早かれ不都合を抱えるようになる。 
体の何処にも何の問題のない高齢者はゼロではないかも知れないが、まず稀であろう。 
新車の車も10年も乗り続けると、その内どこかに故障が起きるように、
人間の体も不死身ではない。

しかし、車も定期的にメンテをして、その調子を維持するように、
人も自分自身のメンテをおろそかにしてはならないのだろう。 
心身共に自己管理を怠らず、
健康な自分を維持する努力が必要なのだろうと思う。

その内に罹患するかもしれない病気に対する予防又は緩和対策。
肉体的にも精神的にも、
共に末永く健やかに過ごせるように、
積極的に策を講じる。

その事を可能にする為には、一つには、
いつまでも現役で働けるように努力したいもの。

日々社会の中に自分の居所を確保し、
人々と交わり談笑し、楽しい充実した時間を過ごしたいもの。 

その為には、物事に反応するという非主導型よりも、
自分が進んで旗振りを出来る方が望ましい。 
いわゆる「PROACTIVE」という姿勢だ。

自分の人生が楽しいものになるようにするのが人生の目的だから、
出来る工夫をいろいろ試してみたいもの。 
失敗はいくらだって繰り返してもいい。

 

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