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クロを白という国もある様だ! [blog]

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/北朝鮮、拉致「既に解決」と強調-安倍政権を非難/ar-AAx9jiT?ocid=spartandhp

どんな面して「解決済」と主張するのか?

北朝鮮では「未解決」を「解決済み」というのかい? 

まともな相手ではないのは確かだ。

この事例で、日本人の多くは理解できると思う。

理解できない世界がある事を。

我々日本人の国内向きの普通の感覚でものを言えば、
拉致問題のどこが解決したと言えるのだ、と思うと思います。

でも、ごらんなさい、この記事が本当なら、
北朝鮮にとっては、日本の拉致問題は「解決済」という事らしい!?

普通のまともな日本人なら、そんな事は決して言わないだろう。

でも、北は「解決済」と言ってるらしい。

分かります? この状況を?

価値観の多様性と呼べるものでもない。

狂っているとしか言えない北朝鮮。

まあそんな相手をまともに相手せねばならぬのかと思うと
無性に腹が立つ私は正常だと思う。

交渉の一環として言ってるなら、それでも許せない。

人類の存在にとって害毒でしかないそんな国は我々は必要としない。
必要でなくなれば自然に消滅するのが自然界の摂理。
ご自分らが積極的に消滅する事を望んでいるとしか理解できない。

お望みならば、そうなるだろうけど。。。

馬鹿な連中だな~

相手にできない。



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日本の現状では拉致問題を解決できないその理由 [国益]

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30292500Q8A510C1000000/

国に力があれば、拘束された国民を取り返せる。 その実例がこれ。

日本も北朝鮮に対しても、例えば恫喝できる程のレベルの力が必要なのは明白。

なのに未だ多くの国民は、対外的国力を持つ事に反対している。
私には、その意味が理解できない。 
多くの国民が、何を問題にして、何を考えているのか分からない。

今更言うまでも無い事だが、外交は単に言葉や理屈や努力だけではダメだ。
相手国に対して、目に見えて影響力を与えうる、実質的な背景が必要だ。

ホントに理解不能な、憲法も真面に変えられない現在の日本の状態では、
他国は日本をまともに相手にしない事を理解すべきだ。

国の安全、国民の安寧や財産などを守れないのは、
国の重要な責任が果たされているとは言えない。

国をそんな状態に放置しているのは、国民の責任と言わざるを得ない。
そんな事でいいんだろうか?


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こんな投書を発見しました(英仏両国民の性格の違い) [異文化交流]

こんな投書を発見しました:

<題して>
「英仏旅行してきました。両国民の性格の違いにビックリしてます」
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/3391185.html?from=recommend

私の解釈では、「英国人はとても紳士的」でいい人々ですが、「フランス人はその対極」に
ある様な存在、という様に表現されている様にしか読めません。

確かに私も一度だけパリのドゴール空港の売店で、この方がお書きになっている様に、
「嫌な思い」をした事があります。 レジ係のラテン系の顔をした中年女性でしたが。。。。。

日本の感覚でものを言うと、日本人ならそんな失礼な対応をする方はいないと言うような
「嫌な印象」が未だに思い起こされます。 でも、そんなのは一度だけでした。
その方の顔つきやいでたちは、そんな態度をしても不思議ではないような、そんな感じでしたけどね。

フランスへは私は2度しか足を運んでいませんので、色々多く経験をした訳ではありません。 
しかし、私の場合は、そうした一般的によく見聞きするような「否定的」なご意見と反対に、
意外とフランスの方々は、私にはとても好印象を与えてくれました。

その理由は、想像の域を出ませんが、一つには現地で使用する言語でしょうね。

日本に来られた外国からの旅行者の方が、片言でも、日本語で話しかけてくれたら、
あなたはどんな気持ちになりますか? 

あまり流暢だと、警戒しますが、
拙劣でも「相手の言葉で話そうとする努力」を、私は高く評価します。 
そこに「相手を尊重する気持ち」があるから、下手でも相手の言葉で話そうとするのです。

そういう気持ちで、下手であっても、フランス語でやってみれば、結果は全く違います。

人間の気持ちって、そんなものだと思います。


ps: 2018/05/11
上記に関して、こんな記事を発見しました:
https://matome.naver.jp/odai/2141196979515409501

フランス語で話しかけてくる外国人には、やはり態度が違うようです。


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新幹線から見る「富士山」2018-05-04 pm [blog]

https://youtu.be/EFr8RWp5myc

以前は殆ど乗る機会もなかった新幹線。
近年はちょこちょこ乗る機会が出来た。

新幹線に乗れば、富士山の姿が気になる。
昼間に乗れば、登りならば進行方向に向かって左側、
下りなら右側の窓側の席を確保できれば、
雲で覆われていない限り、富士山の雄姿を拝める機会に恵まれる。

これは先週の4日の午後、東京14:00発に乗った時の富士山の映像。

熱海を過ぎた辺りから今か今かとカメラを抱えて待っていた時の映像。

忙しい日々をトンボ帰りで行き来するパターンではなく、
ゆっくりと途中下車でもして、富士山を近くからゆっくりと眺めてみたいもの。

そんな、時間にゆとりのある生活をしてみたいもの。

いつの事になるやら。






タグ:富士山
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「異文化対応能力」と言っても。。。。。 [blog]

「異文化対応能力」と言っても。。。。。

そもそも日本文化以外はすべて異文化だから、その種類は途方もなく多すぎる。
そんな広範囲のそれぞれに異なる異質な文化を、すべて認識して理解する事など
とても「無理」だろう。

世界は大雑把に西洋文化と東洋文化と中東諸国などのアラブ文化とアフリカの文化に大別できるが、
それぞれが、それぞれにその中身は種々様々。 多様性に溢れている。

物事は常に何か他のものと比較して、云々されるのが常で、それ単体で描写言及するには限界がある。 
例えば個人レベルの場合、自分という個人がいて、家族や友人が存在し、自分の所属する地域社会があり、更に会社や団体などのより広い社会の一員で、それぞれの関わり方がある。

国単位で見れば、自分が日本という国の一員ではあるが、
自分の世界が日本国内のみの他者等との関わり合いの中では、
自分が日本人だという認識をあえてすることもない。

だが、一旦国外の世界に触れると、自分が日本人である事を認識させられる機会に遭遇する。

それらどの段階においても、自己と他者との比較や自国と他国の比較という場面にぶち当たる。 
そして、それぞれの段階での「比較」によって、他者や異文化を認識する事になる。

自国内の社会の中では、意識するしないにかかわらず、概ねその社会の中での現象なり慣習なり
文化面の要素は自然と体得して身につけていけるもの。 そこには通常あまり違和感を感じる事はない。 同じ社会的な空気の中で息をしている様なもので、息苦しくなったり窒息する事はあっても少数派だろう。 水が違えば下痢を起こすような事はあるが、同じ社会で同じ水を飲んでいるからには、問題はまずない。

問題となるのは、外の異なる世界と接触する時。

多くの日本人が接触する機会のあるのは、主として、欧米などの西洋を起源とする文化と
近隣のアジアの文化だろうか。 今や短期の旅行などにより、多少の海外経験を持つ日本人も
かなり多い様だし、昨今のアジアなどからの日本旅行ブームで、日本を訪れるアジア人は
年を追うごとに著しく増加している。

英語教育熱の盛んな日本では、個人的に一番にかかわりを持つ可能性の高い国々や人々は、
やはり英語でやり取りの出来る国々や英語を意思伝達手段として使える人々が主となる。 
英語以外の外国語でコミュニケーションを取れる人々は、日本人の間ではまだまだ少数派。 
米国、英国、豪州、カナダ、ニュージーランドなどの人々とは、どちらかと言えば、
意思の疎通はまだ図りやすい。

それ以外に、イタリアでもドイツでも結構英語で通じる。 
更に言えば、オランダなどのヨーロッパでの地理的な小国では、
その国のマーケットを欧州全体に求めているためか、
何か国語も話すマルチ・リングイストは多い様に思われる。 

北欧3国でも英語は大抵通じるが、フィンランドに行けば、
あの国も多言語で成り立つ国なのか、誰でもどこの田舎へ行っても英語で困らない。 
しかし、人により国により、文化面では、多種多様な感じがする。

しかし、突っ込んだ特殊な話をする場合などを除けば、概ね、
お互いに「直接意思疎通がかなえば」、国籍や人種の差異にかかわらず、
にこやかにお喋りを楽しめる傾向があるように思われる。 

私の少ない経験上の印象では、ロシアでは英語はあまり通じない。 
だからロシアは個人旅行の出来る行き先ではない。 
団体旅行に加わるか、誰か同行する通訳が必要となる。

フランスは19世紀の頃は世界の中心だったのでしょうか。 
日本人にとっても米国人にとっても、パリはあこがれの都だったような痕跡が
例えば古典的なハリウッド映画の中でも見受けられます。 
フランス文化をろくに知らない私がものを言うのもなんですが、
日本でのイメージでは自尊心の高い人々の文化であるようなイメージが付きまといますが、
実際にパリを訪れて、彼らの言葉である片言のフランス語でやると、
日本でのイメージが壊されます。

例えば英国人が、パリで彼らに英語を押し付けるような事をすると、嫌われる様ですが、
フランス語で話しかけると、意外と意外、どちら様も一様に愛嬌がいいのですね。

ホテルの受付窓口やカフェやレストランの人だとかタクシーの運転手等は、
そうあっても不思議はありませんが、街中や駅などで利害関係のない人でも、親切にしてくれる。 
こちらのフランス語が拙劣だと、向こうから英語で対応して下さった方にも遭遇した。 
言葉が通じない場合は、態度で教えて頂いた事もありました。 見ると聞くとでは大違いでしたね。

行く先々の国で、そこの言葉で、せめてご挨拶位は出来る様にはしたいものです。 
片言でいくら下手でも、愛嬌は身を助けてくれる感じがします。 

外国語は英語だけではないから、非英語圏の国で、
英語を理解せよと押し付ける態度は、傍目にも野暮な感じがしますね。

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WHY you learn a foreign language ? [外国語]

WHY you learn a foreign language ?

In my opinion, it is for the purpose of enhancing the ability to cope with different cultures.
Just for that, first of all, we would be required to have mutual understanding between or among the parties concerned. Just to recognize what other people would be thinking, we would need to communicate each other. And the tool we use for the communication will be the commonly understandable language. Just to exchange views and ideas with people of different culture, our mother tongue does not work. That’s why we start to learn a commonly acceptable popular foreign language like English from boyhood. But the language itself is not the purpose – it’s just simply a means of communication. Just for the mutual understanding and furthermore for co-works or cooperation, we need common words.

In Japan as a compulsory education we get started with English to be followed by other major foreign languages like French or Spanish etc. as you grow older. In our Japanese history of modern times, for example, in the time of last world war, it looks to have been said in Japan not to learn languages of a hostile country. It was a wrong policy – Japan should have studied foreign languages just to win the war, just U.S. had studied our language to get information on Japan.

Now we are living the age of IT. We can get connected with any people of the world directly and instantaneously if we make use of IT tools like internet or skype etc. If you use for example English as a communication tool, your world you can reach will be next to endless. You find no longer any barrier like a border there on the internet. You do not need to pass through a custom. In such an open world open to everybody of the world, I find no meaning to stay inside of your own country alone. The field you can play an active part will be extended to every possible direction beyond the border. You can be in New York today and then you can be in London its next day physically, for example. If you use internet, you can be anywhere at the same time.

In Japan, we had historically the time we had national isolation, although very limited part was exclusively open to outer world. Japan is a very special country if we look at it from outside of Japan. In the first place, our country is said to be composed of a homogenous population and the language spoken internally in Japan is limited to Japanese. This looks to be very special. So, those who do not need to be connected with other countries do not need a foreign language at all as long as you live your own life within Japan. It has been so historically. But, the too rapid innovation of IT had changed the world even within Japan. Influences from other countries are coming in just like a flood. It’s getting harder to remain isolated all alone. We should open the window widely and let winds of different kind come into our house.

I have friends in other countries. We can talk each other by writing emails even daily and if required as many times as possible even in one single day. I am lucky I have such close friends. By writing mutually, we can come to know new things which I didn’t know so far. Although traditions and cultures themselves are not the same, we can well understand each other. If we can share the same interest, it will help to make our talks more activated. We can talk just as we talk with old friends of the same country. Because the habits and customs will be different, it’s interesting to find such differences.
We can gradually come to know how they think and what thought they hold. But, in my case, what I find is that we are just same people – simply the race and nationality happen to be different. With good friends of different countries, we can understand very well mutually. Simply it’s because we have the same tool of same language. It is the key.

I’m on the side of talkative people. I can speak for 2 hours even one-sidedly without pause on the way. But, if I get involved in a circumstance where my languages do not work, I will be quiet. Because nobody around me can understand what I speak. No choice other than to keep silence.

Only one time I had such an experience in Osaka. I was invited by my friend to a club where hostess are all from Russia or Ukraine. They didn’t speak Japanese or English. They spoke Russian only. And I knew nothing about Russian. What was possible was just silence ! No way !

As long as English alone is concerned, I use it on my business. And I have chance to write it for the daily works by email. But, what I write are mostly for business only. We seldom talk about private matters. And as long as you do it, your vocabulary will be very limited to the business matters only. That’s why I need friends we can talk about the other matters extensively, just to widen the horizon.

Language itself is not a purpose but it works very well to find new worlds you have never experienced in the past. That’s WHY I believe learning a foreign language is crucial.

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靖国神社へ行ってきた [blog]

https://youtu.be/ry3fYc_nPGQ

出先の途中が東京だったので、
靖国神社によって来た。

つくばexpressの終点の秋葉原で行き方を駅員にお尋ねし
地下鉄で九段下に無事到着。
靖国神社はすぐ分かった。

神社までの道のりはこのビデオの通り。

まずは第一鳥居と呼ばれる大鳥居から始まり、
大村益次郎の銅像に出くわし
第二の鳥居をくぐった後に神門に。

神門には大きな菊のご門が両脇にあり、
其の後中門鳥居に。

そこからは拝殿がすぐそばに。

そこでビデオ撮影を止められたので、
その先は映せなかった。

普段は神も仏も信じない私だが、
この日はお賽銭を投げ出し、
神妙に拝んできた。

なんせ、今日の日本があるのは、
先代の多くの尊い日本人の犠牲の上にある為で、
それらの方々の事を思えば、
日本人の一人として、
祈らずにはいられなかった。

日本人が戦争の犠牲者の方々の事を思えば
手を合わせる気持ちになるのは当然。

終戦記念日に日本の代表者がここを訪れて
犠牲者の御霊に手を合わせるのは
誰にもはばかる事ではない。

おかしな国々である中国や韓国などの非難は
その根拠にいかなる正当性もない事を断言したい。

そして、日本の代表者が威厳を持って
その立場の職務を果される事を望む。

他国の迷言に惑わされない様に!


タグ:靖国神社
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拉致問題の解決も出来ず、何が日本国だ。 [国益]

拉致問題の解決も出来ず、何が日本国だ。

日本国は自国の安全と自国民の安寧に責任がある。

戦後のこれまでの日本の歴史は、そうした責任を放棄してきたと言って過言ではない。

先の大戦で敗戦国になった結果、
日本が奇妙な日本国憲法という名のまがい物を押し付けられた事は、
歴史事実で今更成すすべもないとしても、
いつまでも先例に倣えという姿勢は知恵がなさ過ぎるし、
いかがなものかと言わざるを得ない。

米国に組み込まれた核の傘の下、
米国が片務的に日本の安全を保障する体制は米国主導のもので、
それに異議を唱えなかったこれまでの戦後の歴史も、
今更塗り直す事もなくやってきたが、
事、日本国民の安全と安寧に焦点を置けば、
北朝鮮に拉致された日本人がその不自由を強いられてきた事に関して、
日本国が国として結果的に何もできなかった事実を重く受け止めざるを得ない。

日本人の人権が他国に蹂躙されてきた事に対して、
日本は国として何が出来たかという事が問題。 
そうした問題の解決を現状の日本の体制ではできないとならば、
それは直ちに改善する必要がある。 
体制を変えようという視点がないから、
米国に助けてもらうという発想になるのだろうが、
そんな他国頼みの姿勢では、
すみやかな根本的解決は期待できない。

問題は自国の力を行使して自国主導でやるべきもの。

北朝鮮が日本のいう事を聞かないと言うなら、
極論日本の力で解決を図れるように日本のありかたを変革すればいい。
日本の国と国民の安全確保の為には、相手が言う事を聞くような背景を作ればいい。

日本国内で尊重される「和」の精神は、日本国外では通用しない。
相手に力で持っていう事を聞かせる能力が絶対的条件として必要だ。

日本のまっとうな主張に耳を傾けて対応しないという事ならば、
実力行使もやむを得ない。

嫌だと言うなら核攻撃も辞さないとその言葉を裏付ける実力を持てば、
問題は速やかに解決されるだろう。

そういう日本の実力を持つことに否定的な馬鹿な日本人がまだ多くいることを大いに憂う。 

国際間の問題は、実力なしには何も解決しない事を良く日本人は認識すべきだ。





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理解できない日本人の危機管理意識の低さ [日本人論]

http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%e7%b1%b3%e6%9c%9d%e9%a6%96%e8%84%b3%e4%bc%9a%e8%ab%87%e3%81%8c%e5%a4%b1%e6%95%97%e3%81%ab%e7%b5%82%e3%82%8f%e3%81%a3%e3%81%9f%e3%82%89%e4%bd%95%e3%81%8c%e8%b5%b7%e3%81%8d%e3%82%8b%e3%81%ae%e3%81%8b%ef%bc%9f/ar-AAwBPke?ocid=oa-cinqueter014#page=2

上記の記事が指摘するような、
我が国にとって最悪の予想が当たらない事を希望するけれど、
その可能性は否定できない。

そんな状況でも、日本国民は
何故なのか私には理解できないけれど、
憲法改正も速やかにせず、
リスクに真面に対応せず、

無作為でただ看過しているだけ。

とても愚かだと思うのは
私だけだろうか?


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事実しか信用できない! それが鉄則。 [blog]

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO30004560Q8A430C1000000/?n_cid=NMAIL007

信用できる「事実のみ」を信じるべきで、
「事実が何か」という事が問題。

北朝鮮も韓国も、更に中国も、
まったく信用に値しない「ウソつき」国家だ。
そんなの今更言わなくても知っているだろう

著名な元中国人の作家も明確に言っているのだから、
その言葉にも嘘は無かろう。

今まで日本は何度も騙されてきた。
米国だってそうだ。

そんなウソつきの国が、ウソつきの国民が、
突然変異をしたかのように
ある日突然、ウソつきでなくなることなどあり得ない。

ウソつきは一生ウソつきを卒業できない。
人は、にわかに豹変できないものだ。

ウソはその内ばれるのを知っていながらも
堂々とウソをつく。
そんな人々が正直に本当の事を言う訳ないだろう。

日本人は騙されやすいお人好しの能天気だから
自分の足元を見て、大いに反省すべきだろう。

自国の利益の誘導の為には、
何でも躊躇せず言う特殊人種だという事を肝に銘じるべきだ。

まあその内結果が出るだろう。
結果が出て、それがまともなら、その段階で信用すればよい。

期待などはしてないけど。。。

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