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「話せば分かる」と思っている日本人 [日本人論]

「話せば分かる」と思っている日本人

日本社会の中で、一般に普通の日本人同士で話しをする限りにおいては
話す相手にも話す内容にも寄るが、「話せば分かる」場合が多い。

余程の変人か奇人でもない限り、普通の人と話すときは、
その話の内容に合理性があれば、それを相手が受け入れるか否かは別としても
話としてその内容を理解してもらえるもの。

所がどうだろう。 相手が同じ価値観や世界観を持つ日本人とは異なる
まったく異国の人が相手の場合は、日本人に通じる様には通じない場合がある。

特に利害が相反する場合は、話は全く通じない。 国益が反する北方四島問題などが
その典型的な実例だ。

海外と関係する生活の領域を持っている人なら、長い人生の途上にて
いろんなことを経験する機会はあり、そうした経験を通じて、徐々に
人間社会全体の中の多様性を認識させられることがあるとは思うが
その生活圏が日本国内を出る事のない人々にとっては、
日本人社会独自の文化や習慣や風習などがあり、
そうした日本社会で通じる共通認識を共有した上での
日本独自のものの考え方や受け止め方をするもの。

そこに異端の考えは入り込む余地はまったく有りませんね。

その日本で当たり前の普通の認識を土台として発想し、交渉しようとすると
その交渉は概して失敗に終わる。 なぜかと言うと、日本人は「和」を尊重する民族で
自己主張をする前に、相手に必要以上に譲歩して、丸く収めようとする嫌いが
顕著に強いからだ。 日本人社会では普通の「和を持って尊しとする精神」が
あたかも諸外国でも通用するものと錯覚しているから、そんな言動に至るのであろう。

でも、そんな日本のルールが他国でも通用する場合はあったとしても例外だろう。

卑近な近隣諸国の数々の不思議な例を見れば分かる。 例えば朝鮮半島や中国。 
それらの国々で見られる例は、日本のそれとはまったく異なるもの。 

決着がついたものでも理由を付けて、恥外聞もなく、話を蒸し返してくる。
そんな実例は周知の事実なので一つひとつここで取り上げる必要はないと思うが
それがまぎれもない事実だ。 事実を自己流に曲げて、無いことを有る事の様に主張する
なんて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、日本人には出来ない。

そういう言動を平気でする人種と「話せば分かる」なんて有り得ない。 100%以上有り得ない。

今のITの時代は、情報が豊富にあり、適切な判断をする為の情報も容易に手に入るが、
昔は情報収集が乏しく、国を代表する大臣クラスでも、諸外国の実情に関する勉強が
出来ていなかったのだろうかと想像する。 事実関係を横に置き、事実と真摯に向き合わず
問題処理の為の「間に合わせの処理」をしてきたので、おかしな談話が多い。 
何とか談話とか言うのが複数あるが、どれも間に合わせの、見当違いなものになっている。

過去の時点で知らなかったとしても、今現在の時代では、それが妥当だったのか否かは
簡単に再評価できる。 間違いは間違いとして清く認める勇気が望まれる。

それをしないと、不名誉は死んだ後でもいつまでも付きまとう。

まあ、引っ込みがつかなくなって、合理性に基ずかないにもかかわらず
「我を通す」人が目に付くが、ご本人には、そんなつもりもなく
自然体でやっているのなら、もう治しようのない病気なのかも。

だから、ご自分を客観的に見る事ができない為に平気でおられるのかも。

国民に人を見る目が無かったのは、昔は情報が無かったという事情もある。
Internetを存分に活用できる昨今。 判断材料は格段と増えたので
今後はそうした情報を活用したいものですね。












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