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雑感 [blog]

森村誠一という作家がいる。

青学を出て、ホテルマンになり、
その後、執筆活動を始めたらしい。

江戸川乱歩賞、日本推理作家協会賞、
吉川英治文学賞などを取った作家らしい。

でも、俺は彼の作品を読んだことは一度もない。
彼だけが例外ではなく、大抵の日本の作家の作品は、
これまで読んだ記憶がない。

今回、ちょっとした直観で、彼のほやほやの出版物を手にした。
その題名は「60歳で小説家になる」である。 

読んでいると、彼と俺の間には、
いくつかの共通項があることに気付いた。

学生時代は成績の悪い劣等生だったけれど、
英語が得意で成績も良かったとのこと。
俺もまさにその典型だ。

仕事に関しては、匿名の仕事ではなく、
「俺が、俺が」という、自分の署名付の仕事がしたかった、と書いている。 
俺も、何を隠そう、まったく彼と同感だ。 
自分が埋もれる仕事ではなく、
自分が前に出る仕事、自分の署名を付けて、
その責任を負う仕事が自分には向いている。 
だから、輸出業で営業を長年している。

家内に言わせれば、俺は「目立ちたがり屋」だと言う。
俺は、目立つのが目的ではないから、
そういうつもりは全くないのだが、
自己主張が強い方だから、結果的に、傍目には目立つらしい。
自分の存在が周りに認識されることに、
嫌な気持ちは持たない。
むしろ、無意識の内に快感を覚えているのかもしれない。

そういう性質は幼い頃からあったのかもしれない。
小学校5年生の時には、
小学校の代表で読売TVのクイズ番組に出たこともある。 
だけど、本当は小心者で、口下手だから、
学級委員や議員などはしたくなかったけれど、
周りが許してくれなかった。
中学の時代にも、
仲間に押されていやいやながら立候補演説をした記憶があるが、
熱意のない下手な演説で運よくお役を逃れた記憶がある。
高校時代は、英語のクラブの部長で、
英語劇を講堂でやったことは記憶に残っている。
そういえば、合唱大会では、指揮棒を振ったこともあるが、
自分が間違い、クラスの皆に迷惑を掛けた嫌な記憶も忘れられない。 
何もできないのに、何故か目立っていた少年時代だった。
それと、歌が好きで、高校1年の時は朝日学生コーラスの一員だった。
夏の甲子園での高校野球の開会式には、甲子園で歌い、
東京オリンピックの時には、聖火が大阪に来た時には、
当時大阪の扇町にあった大阪プールで、
島倉千代子を迎え、聖火歓迎の会にも参加している。
また、恒例の12月の大阪フィルの演奏会の前座のそのまた前座で、
フェスティバル・ホールの舞台にも立った記憶がある。
その日は楽屋に朝比奈隆先生を訪ねサインをもらった。
まあそれらの例が示すように、何故か目立っていたようだ。

話はすこし逸れたが、
その手にした本を少し読み進むと
「会社で成功しない人が、小説家として成功する5つの理由」
というページに出くわす。

その第一、自己顕示欲が旺盛。俺はそれに該当する。
第二は、哲学的疑問が常にある。 
この項目に関しては、俺はすこし怪しい。
いつもあるとは限らないけど、無いことはない。
第三は、寄らば大樹の陰という発想を持たない。
俺はズバリ当てはまる。
第四は、人格的支配に反発している。
その趣旨がちょっと不明確だけど、
俺は人に支配されることを良しとしない。
第五は、会社の規格に合わず、
社会的に不適格な人間すらフィットする。
俺は、表面上は、必要な部分においては、
人と強調する能力はあるとは思うが、
そうすることは、俺が本来望むところではない。
お前はいつも好き勝手にやっている、
と言われたことがあるように、
自分が納得することを
自分の納得できる方法ですることを良しとする。
あまり既存の束縛にこだわらない。
むしろ脱線する傾向がある。
だけど、何をするにも、自分では、説明を求められれば、
堂々と明確に説明することができることを、
自信と確信をもってしている。 

だから、会社のルールはあまり重要視していないという意味では、
会社のはみ出し者なのだろう。
俺には連帯責任を持つという意識はない。 
チームワークもあまり重視しない。
だから、一般の没個性的な職場や立場では、仕事ができない。
そういう意味では、
森村氏の指摘する条件の多くが俺に当てはまるような、
そんな気がする。

でも、能力や素質があるとかないとかいうのは別の話かもしれない。
しかし、文章を書くことに抵抗がない。
自分が書く資格がある分野ならば、筆が自然に前に進む。
唯我独尊は俺の自然体そのもの。 
俺は世間の狭い世界に生息しているけれど、
ある意味では、好き勝手やっているので、
いわゆるストレスというものをあまり感じない。
ストレスの原因となるようなものは、
自分で排斥するからだ。

だけど、あくまでもサラリーマンだから、
実入りが悪く、人付き合いも悪い。
しかし本当の自分は底抜けの社交家で、話好きで、
気が合う人とはとてもお喋りだ。
自分の気に入らない人とは全く話すことも無いけれど。
その落差が大きい。

小説家というのはうまいこと書くもんだ。
森村氏は「青春」という言葉が好きだとのこと。
そういえば、俺は年齢上ではおじんそのものになっても、
人からは「若い」と言われる。
自分でも見かけはとても「若い」と思っている。

森村氏の何がうまいかと言うと、彼はこのように書いている:
「未来を見ている限り、今の時点の自分が一番若いのである。
過去を振り返れば、その時の自分が一番年老いている」 

その「若い」という感覚は、
俺が常に意識的に認識しているものである。 
気持ちが若いという事は、いろんなことに関心を持ち続け、
好奇心を保持しているということである。
好奇心旺盛な状態は、多方面に意識が働く。 
だから、未知の世界にも入って行くことができる。
それも、小説家として成り立つための大切な要素だろうと思う。 
一つの興味は、その先に興味を発展させることができる。
すべては興味を持つことから始まると言って過言ではないだろう。
そういう意味では、俺は自然体で、
作家の道入門適格者なのかもしれない。
何の制約もない自由な世界。俺の理想とする世界だ。

小説家デビューを果たすための7箇条の一つ目に
「毎日、日記に嘘を書く」とある。
俺は元来その嘘というものが好きではない。
だから、そう言われても、
努力してみようという気持ちは無い訳ではないけれど、
実際にそんなことが可能かどうか、かなり疑問だ。

事実をありのままに書くことは易しい。 
でも、あることないことをでっちあげる、
というのには少し自信が持てない。 
でもそれが是非とも必要な条件であるとすれば、
素直にその助言に従わざると得ない。 そこまではいい。 
それから先が問題だ。 

それから、三つめの「売れている小説は全部読む」。 
それも、かなり努力がいることだ。 
思いっきり気合を入れないと、なかなか出来そうにない。
いや、かなり不可能に近い。 

それから、その六つ目の「自伝は書かない。応募しない。」
これも、今の駆け出しの自分には、ハードルが高い。 
自分のことなら、自分が一番よく知っているので、書きやすい。 
頭の中に思うがままに書けばいいから。 
でも、それ以外のこととなると、
まず何を書けばいいのかその題材に困る。 
何をテーマにすればいいのか、その選択にはふと立ち止まる。
自分の関心事なら、
少しはそれまでの知識を活用することも可能かもしれない。 
でも、正直言って、俺の知識などはたかが知れている。
人様に披露できるような代物ではない。 
でも、自分の関心事でない事ならば、尚更その困難が付きまとう。
ましてや、人様に読んでもらえそうなことは書けないだろう。

人様に読んでもらうことがその主たる目的だとすると、
読後感がそれなりに評価に値するものでなければならない。 
果たして、俺にはそんなものを書くことができるのであろうか。 
かなり疑問が残る。 でも、とりあえずは、
やろうと決心したのだから、駒を前に進めなくてはならない。 






タグ:作家の条件
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