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妥協と寛容 [世界は多様]

日本人の日常の生活には、
あまりに重要な要素とならない宗教。
日々の生活が宗教によって影響を受けない、
そんな世界に住んでいる日本人。

それに反し、
キリスト教徒や、ユダヤ教徒やイスラム教徒は、
宗教が生活の重要な一部をなしているようだ。
聖書などのようなものがあり、
規律や戒律などが明文化されて書かれているらしい。
我々日本人は、ただの一般常識や良識に基ずき、
法律を遵守していさえすればいい。

キリスト教は少し趣が異なるようだけど、
ユダヤ教もイスラム教も共に二元論的思考の
一神教で、神はひとつであり、
他の神々はすべて偽りの神となるらしい。

神と悪魔とか、勝利か敗北かのように、
完全な二元論が支配する世界だそうで、
「妥協」などというものはない、とのこと。
だから、イスラム教徒のパレスチナ人は、
2千年以上もユダヤ教徒のユダヤ人と戦っていて、
その戦いに際限がない。

よろずの神々の存在する日本では、
他の異なる神の存在に寛大で、
おおらかな日本人には理解しがたいのが中東問題。
妥協や落としどころを心得る日本人 - それは
日本人の長所。 その文化を輸出したい。

でも、気の遠くなるような長い歴史のある、
宗教が骨の髄までしみこんだその文化を持つ人々を
短期間に改宗させることは、とても容易なことではない。
何でも器用に咀嚼吸収する日本人とは訳が違う。
宗教は彼等には、生活の重要な一部であり、
日々の生活から切り離せないものなのだろう。
必要な時にだけ、それをちょっと拝借するという
器用な頭をした我々日本人とは、根底から違う。
どちらが良いとか悪いとか、その種のことは、
論争の対象にはならない。
でも、ひとつはっきりしていることは、
器用な柔軟性のある日本人は、
異文化の良いところも上手く取り入れて成長してきた。
人の良い所は良いと認めるおおらかな度量を備えていた。
闇雲に排他的ではなかった。

勿論、地理的に他国と隔たっていたという事情の影響で、
頻繁に直接的摩擦を受けるという事が少なかったという
状況も幸運だったのかも知れないけれど。
我々日本人には、宗教が絶対的なものでなかったという
歴史的背景があったことにより、理不尽な争いを
自分で起こすことも、下手に巻き込まれることもなかったのだろう。

一神教の人々同士が、互いに対立しているような状況は
とても厄介なのだろう。
同じイスラム教であっても、宗派が違うという事で、
その激しい対立による事件もよくニュースで見る。






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