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人種の区別は、なくならないもの [日本人論]

日本人は明治の開国以降、
国際社会の中で「人種差別撤廃」を主張し続け、
それを自分の単独の力で勝ち取った実績がある。 

歴史上、強い軍事力を持ち、白人国家相手の日露戦争で、
日本人国家を勝利に導き、それまでの白人社会で共通の、
非白人に対する共通概念と見られていたものを覆してしまった。 
まさに、二十世紀最大の、日本人の功績と言える。

日本の勝利は、それまで植民地に喘いでいた、
他のアジア諸国の人々に、意識の改革をもたらした。 

彼等、非白人社会の間に自信を植え付け、
希望を芽生えさせることに、大きな影響を与えた。 
また、先の大東亜戦争では、白人による植民地支配から、
多くの国を解放させた。 

白人絶対の時代を終焉させたのは、日本の力。

人種差別は、日本の対米戦争の大きな原因。 
1924年にアメリカで、日本人移民を締め出す
「排日移民法」が成立して、日本を憤慨させている。 
人種差別解消のための功績は大きな貢献をし、
その結果、戦後次々と、アジアの元植民地に
甘んじていた国々が独立した。 
日本人が模範を示し、表面的な人種差別はなくなったと言う。
でも、人種差別は水面下では完全になくなった訳ではない。

確かに、昔のように、目に余る形で、
制度上これ見よがしの人種差別は存在しなくなった。
トイレが別々だとか、電車やバスが別々だとかという
種類の差別は。 しかし、人の気持ちは、
法律で決まったからといっても、すぐさま、
気持ちも同時に変わるというものでもない。 

やはり、永年、心の中にあった思いが、
急にまったく違ったものになり難い。 
だから、人の心の内面では、やはり、
異質のものを異質と感じる感情まで、
法律で制御できるものでもない。

一般には、たまに出かける海外旅行で、
異人種に出くわすことはあっても、
彼等と日常的に付き合う機会がないものだから、
接触する場合があっても、慣れないものだから、
その差異を感じざるを得ない。 

差別する気持ちを無くしても、差異は感じるので、
奇妙な感じであることに違いはない。 

本当にお互いに友達関係になれて、
お互いに肌で違和感がなくならない限りは、
積極的に差別するつもりはなくても、
やはり違和感は払拭できない。 
現実と理想の概念が、必ず一致するとは限らない。



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