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国が違えば、視点も違う [blog]

外国人といえども、やはり同じ人間だから、基本的には類似点は少なくない。 
相手によっては、同国人よりも、より多くの共通点を持つ人だっている。 
でも、住む社会が異なるので、やはり違うなということはある。 
好みの違いは十人十色。 国籍や人種は関係なく、一人ひとり違うもの。

外国人との間に、何が違うかと言うと、ものの見方受け止め方。 
共通認識の土台の部分が違うような気がする。 
ある二十代の若いフランス人の友達曰く、
他のヨーロッパ人との間では、たとえ国籍が違っても、
何かを認識する上で、お互いに共通するものがあって、
お互いにすんなりと理解ができて違和感がないのに、
それが、日本人相手だと,同じようにはならないことがある、と言われたことがある。 
具体的にはどういうことなのか、その時に、明確な説明を引き出せなかったので、
未だに詳しいことはよくわからない。 でも、やはりあるのだろうな、
島国文化の住民にはわかりにくい異国文化。

まあ、確かに、我々日本人は、我々が常識だと思うことが、
常識だと思っている。 
でも、広い世界では、日本人の行動は、世界標準から見ると、
かけ離れているところがあるのかも知れない。 
我々は、鼻をかむ時は、ヨーロッパ系の人のように、大きな音を立てない。 
それはちょっと慎むべきことだと思っている。 
ところが、うどんやソバは、音を立てて美味そうに食う。 
食器は手で持ち上げて、基本的に箸を使ってものを食う。 
お隣の韓国では食器は持ち上げない。 
家の中では、我々は靴を履かない。 
そういった個々のこまかい習慣などの違いの部分ではなく、
何か基本的な部分で違いがある様な気がする。 
異文化空間での生活経験がないので、
自分ではよくわかっていなくて、本当のところはあまり定かではないが。

例えば、物事の説明を聞いた場合に、
それが「何故なのか」と突っ込んで聞く習慣が、
日本人には希薄な感じがする。 
事実があれば、その事実を知るだけで満足し、
なんでそうなのかと、根掘り葉掘り聞くことは少ないように思う。 
ところが、対照的に、西洋文化の人々は、
それが「何故なのか」ということを、とても重要視するような気がする。 
だから、「何故」「なぜ」「なんで」と聞かれることがある。 
自分が納得するまで聞きたいのだろう。 
日本人がそれをやれば「しつこい」と言われる。 
でも、中途半端な状態のままにしておくよりも、
自分で納得いくことが、彼等には重要なのだろう。 
彼等が何かを説明するときは「なぜならば。。。」と
自分で率先して説明を加えるような話し方をしている例をよく見聞きする。 
ものごとをはっきりさせるという事に、意義があるのかも知れない。 
その点、日本人はどちらかというと、心理的に少し情緒的な所があって、
何でもかんでも理詰めで、明確にするとは限らない。 
感覚で物事を把握し、情緒的に理解するということもままある。
でも、そのやり方でも、何ら不都合はない。

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