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海外では、日本人個人は目立たない [外国語]

日本は、その一時期において、
経済的に、飛ぶ鳥を落とす勢いだった頃がある。 
日本は世界の為に、ODAなどで、多額の金を使ってきた経緯がある。 
でも、その世界への金銭的貢献が、
そのままきちんと、相手の国民に伝わっているのか、
疑問に思える節がある。

日本は金を出すだけで、
人的貢献などができなかったため、
その努力が、目に見えて相手国に伝わりにくかった、
のではないだろうか。 
一部には、海外青年協力隊のような、
ボランティア活動も知られてはいるだろうが、
一般には、人的協力は目立たない位しかないのでは。
それが、従来の日本人の海外との関わり方だった。 
ゼロではないが、まったく目立たない。

その理由の背景には、
国内的には有能であっても、
その有能さが、そのまま海外で通用するだけの、
能力発揮のための要素の多面性に欠けていた、
ということもあったのではないかと想像する。 

換言すれば、
海外で人を押しのけてでも「でしゃばれる」だけの能力を
持つ人材が少なかったのだろう。 

ハーヴァード大の、人気の高いサンデル教授の、
哲学の公開講座が過去に何度も連続してテレビで放映されていた。 
教授は、受講生との対話形式で、その講義を進めていた。 
いろんな学生が、教授の設問に、積極的に加わり、
自分の意見を言っていたのを、何度も目の当たりにしたが、
それらの発言者の中には、
ついぞ、日本人の学生を見つけることができなかった。 
あれは、日本人の現実を表している。  
理想を言えば、日本人の学生の活発な意見を聞きたかった。 
あれは、多分、現在の世界の現実の縮図みたいなもの。

国際関係が、国同士として、益々重要になりつつある現代、
世界をリードして、引っ張っていける能力のある人材の多数輩出が望まれる。 
日本人には、元来その資格があるはずなのだが、
言語能力の相対的な欠如と、
そうした場での適切な振る舞い能力に、依然未熟さは隠せない。

和を以って尊しとする精神は、
国内向けの、身内だけで通用するスキル。 
国内向け専用に取っておきたい。
 
むしろ、広く人類をリードする精神こそ尊しとすべきだろう。 
日本人に、実力を伴う言語活用能力さえ備われば、
それらは可能となると、公言しても過言ではない。
言語能力の裏内があれば、場馴れの為の特訓は、困難ではない。 
そのうち自然と場馴れするものだ。

我々に欠ける資質:

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